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2018/1/8

「代替わりの時期」という会社のメッセージ。
上京して、新しい一歩を踏み出す自分の人生と重なった。

渡邊 康弘さんの転職体験記
渡邊 康弘Yasuhiro Watanabe(33歳)
  • 転職前車の製造スタッフ
  • 転職後営業
  • 転職活動期間
  • 応募社数13
  • 面接社数1
この体験記のポイント
  • 大学卒業後は地元・福島で勤務。さまざまな仕事を経験するも、東京で働くことを希望。
  • 求人原稿にあった常務のインタビュー記事に共感。会社と共に自分の人生も創っていきたいと感じる。
  • 入社後、会社で出会った奥さんと結婚。昨年は子供も誕生。仕事の充実が、人生を豊かにしてくれた。

大学卒業後は地元・福島で就職するも、東京で働くことを考えていた。

大学を卒業後は、地元の福島で働いていました。訪問販売の仕事をしたり、ゴルフのインストラクターをやったり、クリーニング店で店長をしたり…結構いろいろです。地元で就職してはいましたが、ゆくゆくは東京で働きたいなという気持ちはずっと持っていましたね。

そんな折、東日本大震災が起きました。実家の地域はそこまで大きな被害はありませんでしたが、それはもう友人・知人みんなの生活が一変してしまう出来事で…。これまでの仕事を続けることはできず、実家が営む小売店を手伝う生活が続いていました。被災に合われた方たちも多く来店されていましたので、地元の復興支援につながればという気持ちでいましたね。

半年ほど経った頃、被災地の状況も少しずつ回復してきたこともあって、東京で働くことを考え始めました。とはいえ、いきなり東京に行くのは少し抵抗があったのも事実で…。そんな中、見つけたのが、群馬県にある車の製造工場での仕事です。寮があって住み込みで働けることに魅力に感じ、まずはここで1人暮らしを始めお金を貯めて東京に行けたら、と考えていました。

仕事内容はそんなに難しくなく、ベルトコンベアで流れてくる車体に部品を取り付けていく業務を担当していました。1分間で全てを取り付けなければいけないので、最初のうちは体力的にきつかったですね。仕事が終わると足もパンパンで(笑)。でも、コツを掴めば問題なく対応できるようになり、1年半ほどこの仕事を続ける中で少しずつ評価されることも増えました。ありがたいことに「正社員にならないか」と声をかけていただくことも。素直に嬉しかったですし、自信にはなりました。

けれど、自分の中で東京で働きたいという思いはずっとあったので、ここで正社員になることはせず転職活動をすることにしたんです。

履歴書の書き方もよく分からず…。思ったように進まず最初は苦戦。

成功の秘訣!わたしの転職体験記イメージ1
働きながら転職活動をスタートさせましたが、実はこれがあまり上手くいかなくて…。自分はこれまで3回ほど仕事を変えていますが転職活動らしきことはしていなかったものですから、履歴書の書き方も良く分からない。自己流で書いてみて応募しましたが、選考は思うように進まず…苦戦しましたね。そこで、リセットという意味合いも含めて、一度、前職で働いていた企業を退職。実家に戻って転職活動をすることにしたんです。

『エン転職』はじめ、大手転職サイトに登録し、東京勤務であること、自分が過去に経験したことのある販売や営業の仕事であることを条件に検索。出てきた求人を一つずつ見ていったんです。あわせて、自分が気にしていたのは、いつも求人を出している企業かどうか。常に募集をかけているということは社員が定着しないってことかな、と思ってしまったんですよね(笑)。

そんな中で出会ったのが梶原建設です。官公庁から依頼を受けて、道路標識やカーブミラーなど交通安全を支える設備を設置する仕事、というのにも面白そうだなと興味を持ちました。加えて、求人原稿と共に掲載されていた常務のインタビュー記事にすごく共感。応募の決め手になりました。

常務のインタビュー記事を読んで、この会社で自分の人生も創っていきたいと思った。

成功の秘訣!わたしの転職体験記イメージ2
常務のインタビュー記事に書かれていたのは、「代替わりの時期」「長年歩んできたこれまでの歴史をともに塗り替えてくれるような人を求めている」「古い会社ではあるけれど、まだまだ変えなくてはいけないところだらけ。“こんな風に変えたほうがいい”というようなアイデアはどんどん言ってほしい」というようなこと。

現状に甘んじるのではなく、将来を見据えて新しい挑戦をどんどんしていかなければならない、というメッセージが伝わってきて、おこがましいかもしれないですが、転職という人生の岐路に立っている自分と重なったところがあったんです。東京に出て、新しい一歩を踏み出そうとしている自分に合っているような気がしました。ここで、会社共に自分の人生も創っていけたら、と感じたんですよね。

目先の内定・入社というところではない思いを持てたことも大きく影響していたのか、書類選考・面接を通過し、無事に内定をいただくことができました。

入社後には結婚も。仕事の充実が、人生を豊かにしてくれたと思う。

入社後は、独自技術をもつセラミックコーティング事業の営業を担当しました。たとえば、お墓にある墓石。劣化から守るためにはクリーニングとコーティングが非常に有効で、そこに当社の施工技術を提案しています。需要も高く、私が営業を担当して1年ほどで、事業部の売上は2倍になりました。たまたまニーズが増えていくタイミングということもあったので、運みたいなところもあったと思います(笑)。ですが、自分の頑張り、成果として評価していただけ、新たに道路標識やカーブミラーなどの設備を設置する事業部の管理も任せてもらえるようになりました。

そして、最近、手がけているのは新規事業の立ち上げ。高速道路などの路面表示に使っていた材質を有効活用し、一般家庭の外壁などに応用できる商品を提案できればと考えています。梶原建設の一番の強みは、官公庁や自治体と安定的な取引があること。でも、その現状に満足せず、次なる事業展開を考えていくことは、とても楽しいですね。

また、プライベートでは入社後に結婚をしました。実をいうと、奥さんはこの会社で出会った人で(笑)。昨年、子供も産まれたんです。入社前に転職のタイミングで、梶原建設と共に自分の人生も創っていけたら…と感じていた思いはその言葉通りになりました。仕事の充実が自分の人生を豊かにしてくれる、そんな気がしていますね。
採用担当者の声
成功の秘訣!わたしの転職体験記イメージ3

会社を創っていくタイミング。
真面目で誠実な、信頼できる人が必要でした。

常務取締役
梶原 匡弘
評価したポイントと採用理由 最終的な採用の決め手は、真面目そうな人間性です。正直いうと、経歴だけみると東京に出てきたいだけなのかなと思ってしまったところはあるんです(笑)。でも、話をしていく中で、素直で誠実な人柄に惹かれた。期待してみようと思いました。

というのも、当社は設立42年の会社ではありますが、これから新しい事業を展開していきたいと考えていたから。第二創業期ともいえる時代を一緒に創っていってくれる方が必要だったんです。そこには、真面目さや誠実さ…信頼できる人柄が何よりも大切だと感じていたんですよね。

入社後は大きな活躍をしてくれています。現在は係長として5名ほどのメンバーもマネジメントしています。活躍の場を広げてくれていますね。また、新しい家族にも恵まれ、私としても嬉しい限り。社員の人生含めて応援していける会社でありたいと思います。
企業情報
会社名梶原建設株式会社 資本金1000万円
事業内容■交通安全施設(設計・施工・管理) ■コーティング ■一般土木 ■舗装工事 ■駐車場メンテナンス(駐車場の維持メンテ、舗装工事、車止め、区画線、看板、サイン標識など) [建設業許可] 東京都知事許可(般12)第057860号 土木工事業、とび・土工工事業、舗装工事業、石工事業、塗装工事業 鋼構造物工事業、水道施設工事業 従業員数37名(2022年3月現在)
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